2000年 新規就農

休耕田に蒔いたアワ、約10aはよくできた。
休耕田に蒔いたヒエ、約10aも良くできた。
収穫したアワの乾燥。
この後、たたいて脱穀するのが大変だった。
脱サラ後、いろいろと経緯はあったが、北海道旭川市の南側に位置する滝川市内に借地がみつかり、2000年の春に無事新規就農する事ができた。
畑と休耕田、合わせて1町6反(160a)に雑穀・豆類を中心に作付けしたが、収穫出来たのは
ヒエとアワのみ、各200kg位ずつ、金額にして23万位だった。
なにしろ農業をするのは、今年か゜初めての経験であり、全てが試行錯誤の連続だった
が、実際に自分でやってみて気づかされ学んだ事が沢山あった。

まず最初は、農業をするにあたっては、その土地の沿革(どのような土地で何をどのように栽培してきたのかといった経緯)が決定的に大事であるという事。
畑であれば、種を蒔けば取れると気軽に考えていた。ましてや栽培するのはヒエアワキビの雑穀類である。どんな荒地でも肥料なしで無農薬で栽培できるのが雑穀というものではなかったか?
しかし、取れない土地でどんなに頑張ってもやはり取れないのである。
これは後になって聞いた話だが、この土地自体は不在地主の土地であり、近くの農家が管理を任されていたのだが、何も取れないという事で返却したという経緯があったらしい。
丁度蒔種作業をしている時に、やって来た。「何蒔いてるの?、ここでは何もとれないよ。何せ表土のない土地だから。(どうも土を売却した跡地らしい)」
肥えたいい畑だという地主の話は、とんだホラ話であった。
農地を借りるという事は、農地法の絡みもあり、なかなかに難しい。特に私の場合は正規な新規就農者ではなく、どちらかというとゲリラ農民であるからなお更である。就農地探しには苦労した。
話は色々あっても中々決まらないのである。そうした時の話であったからつい飛びついてしまった。肥えた良質な土地は近所の農家が必ず買うか、借りるかするものであり、私のような新規参入者には、回ってこない。近所の農家が手を出さないどうにもならないような土地しか残ってはいないのだ。 「いい土地を貸してくれる人なんかいないぞ。」言われてみると尤もな話である。
新規参入者にとっては、良質な土地を如何にして確保するかが第一のハードルであると思う。

実際にやってみて一番大変だったのは除草作業だった。勿論機械などないからホーを使って手作業でやるのだが、取っても取ってもきりがない。毎日朝から晩までひたすら除草していなければならず、他の仕事をしているヒマがない。
農家の人が除草剤を使う気持ちがよくわかった。農薬類を上手に使って能率をあげないと経営が成り立たないのであろう。農家だって生活者なのだから、まず生活が成り立たない事にはどうしょうもない。「何で農薬を使うのだろう?」単純素朴にそう思っていた私であるが、実際に体験してみると良く解った。
無農薬・無化学肥料栽培、と口で言うのは簡単だけれど、実際に栽培し、なおかつ生活していけるだけの収入を確保していく事か゜どれほど大変な事であるか、とてもじゃないが簡単にいく話ではないと経験してみてはじめて解る私であった。

このように最初の年は、結局大赤字で大失敗に終わったわけだが、やりたいと思って始めた農業なので、大変ではあったが実に楽しい体験であった。
ワンシーズン、春から秋まで働いて23万では、一ヶ月の給料にもならない金額であるが、自分で収穫した農作物が確かに収入にはなったのである。後は上手に栽培さえできれば、農業をやって生活していく事も可能なのではないだろうか、わずかな希望も湧いて来た。
といっても、このままここで続けていては埒はあかない。生まれ故郷に貸してもらえる土地が見つかった。日高へ戻り、二年目の、新たな挑戦をする事とした。

11月からは内地へ出稼ぎである。なんとか農業で一本立ちして生活できるように、というの
が2001年の目標となった。
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