農業は農行か

しかし、実際にやってみると、農業がこんなに大変なものだとは思わなかった。
一生懸命に頑張れば、それなりに報われるのがサラリーマンの世界である。
頑張って働けば、それなりに生活費位は稼げるだろうと考えていたが、まったくそんな事はなかった。
頑張って働けば何とかなる、という考え方は農業には通用しない。
まったく収穫できないのであるが、駄目な原因がどこにあるのかさえわからない。
収入のない年が何年も続くのだから、まともな神経ならとてもやっていられるものではない。

普通、のうぎょう とは農業であり、職業の業である。
しかし、生活そのものが修行の行であると割り切らないと続けてこれなかった。
特に最も厳しい最初の三年間は暮らしそのものをのんびり楽しむという事をメインとして
割り切って考えていかないと、なかなか続けていく事は難しいと思う。

農場にあるのは、大地と、木々の緑、青い空、白い雲、鳥の声、蝉の声、風の音である。
風になびく草たちは、何を語っているのだろう?
天と地の中間に立ち、吹く風に身をまかせながら語る大地の声を聞く。
もっとも、何も語ってくれないけれど。

自然には秘密はないと思う。完全な法則性と秩序のなかにあって全てを開示してくれている
と思う。しかし、自然に対峙しても、そこから何も感じ取れない自分が悲しい。
邪魔するのは我欲だろうか?
多少は取れて収入になってくれないと生活していけないから、どうしても生育は十分か、という
目で見てしまう。損得感情抜きにして、存在に対峙するという事は中々に難しい。
だからこそ修行なのだろう。

禅僧は一日中作務と座禅で悟りを求めようとする。私は、農業という生活を通して、自然
そのものから学ぼうとする。 今は自然と直接取り組む農業を通して学んでいこうとする
農行人であるのかもしれない。

早く職業は農業です、と胸をはって言える農業人になりたいものだと思う。


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