バランス

農業を始める迄のサラリーマン時代は実に色々な経験をしたが、結局のところ体験を通して学んだ事は、バランスをとるという事につきるように思う。
肉体的な物質的なものと、精神的な心的なものと。 人間とは肉体を持った精神的な存在であるのだと思う。
仕事に打ち込みビジネスで成功しても、達成感はあるかもしれないが、必ずしも心が満たされる
わけではない。かといって物質的な面を無視して観念的な世界に深入りすると、現実的な面がおろそかとなり、人生をやり損なう事になる。左に行っては右に行き振幅の大きな生活を繰り返して徐々に振幅が小さくなり、だんだんと極端な性向が矯正されて、バランスが保てるようになってきたように思う。
いろんなしがらみが取れて、やっとシンプルライフで良いのだなという合点がいった様な気がする。

で、何が言いたいのかというと、全ては相似象(フラクタクル)なのだから、農業における植物の
生命現象も人間と同じように考えて良いのではないかと思っているのです。
一口に農業といっても、実に色々な考え方があり、農法があり、かつ実践例があるのです。
何に従ったら良いのかわからない、迷ってしまう訳です。
何といっても、農業は一年に一回しかできない事ですから、あれこれ全てを実践して検証していく
わけにもいかない。あくまでも職業農業ですから、あまり深く研究に没頭するわけにもいかない。
理論はどうあれ、無事健康な作物が収穫できればそれで良い事なわけです。
農業についてはよくわからないが、人間の生活についてはさすがに多少はわかる、そこで
人間生活に当てはまる事を、そのまま農業・植物の生命現象に当てはめて考えてみるという事
を基本にしてやっています。

農作業(施肥・土づくり・耕起・除草・培度等)とは、作物が順調に生育するように、生育環境を
整える為に行うものです。人間の生活環境を整えるという点から考えると、こうした事は、ほど
ほどで良いという事になる。
あまり上げ膳据え膳では、人間はよく育たない、ちょっと貧乏なくらいの方が立派な大人に育つ
様なものです。 
肥料について考えると、人間にとっては食糧にあたるものです。
主要五要素である、N,K,P,Ca,Mg,で全体の80%を占め、残り20%を微量要素が占める
このバランスを取りながら、かつ塩基飽和度を満たすように十分な施肥をしていく、というのが
基本的な考え方ではないかと思う。いろいろな研究成果の結果、このような形が好ましいという
ような事になっているのではないかと思うのですが、人間に例えると、現代栄養学と同じような
考え方なのではないだろうか?
しかし、現代栄養学を無視したような質素な食事だって、人間は健康に生きていける。
こうした栄養学が間違いとは言わないが、健康で長生きするためには必ずしも必要でない
考え方だ。こうした物質分析の方法も無視はできないが、こうしたものは半分だろう。
残り半分は不可視の領域・エネルギー性であると思う。

人間にとって肉体の健康は大事な要素だが、それ以上に何をやってどのように生きるのか
という事のほうがより重要である。いくら健康であっても毎日をイキイキワクワクと充実して
生きて行けないならば、十分とはいえないだろう。
人間で言えば、農薬は薬に、化成肥料は冷凍食品にあたるだろうか?
健康な人に薬は必要ないし、便利な冷凍食品や加工食品も、必ず食わねばならないという
ものではない。健康な畑に薬剤は必要ではないし、腹八部目になるような控えた施肥が理想
だと思っています。
又、農業には資材農法というものが存在します。この資材を使えばよい、という事なのですが、
人間でいえば、数ある健康食品にあたるようなものです。効果があるような気もしますが、
必ず摂取しなければならない、という種類のものでもありません。

結局のところは、どんな資材が効くのだろうかアレコレ思考錯誤して物質分析するよりも、
こうした事はそこそこのところで止めておき、残り不可視のエネルギー性に注目して、その両者
のバランスを取るように考えたほうが、より効果的なのではないかと考えています。

「作物は手をかければかけるほど、それに答えてくれる。」
「作物は人の足音を聞いて育つ。」  
「近所の野菜づくり名人のばあさんは、野菜を手でなぜて、大きくなれよと言葉をかけてかわいがる。」「植木や切花に、ことばをかけてかわいがると長持ちする。」

このような事は、なんかかんか聞いた事があると思います。
植物も生命である以上は意識があるのは当然です。人間には植物の考えている事はわからな
いが、植物は人間の考えている事がわかるというのは本当であると思う。
「犬は飼い主に似る」という。犬は主人に素直に反応するからなのだろう。
ならば、栽培人の意識の状態も、作物の生育にダイレクトに反映する、重要な要素の一つに
なるのでないだろうか。
人間の思考力と言葉は巨大な力である、あらゆるものを作り出す基となるのがこの思考力である。
人の思いと言葉は、回りの環境に対してはかりしれない力を持つ、という事は言うまでもない。
農業という生産現場においても、栽培人の意識の状態が作物に対して決定的な力を持つ、そういう事もあるだろうな、と考える以上に重要な要素ではないかと思っています。

どちらにしても、こうした目に見える世界の事だけにいくら工夫して四苦八苦しても、半分に終わ
るのではないかと考えています。
不可視の領域に属するエネルギー性を考慮して、それをどのように農業技術として取り入れる
事ができるか、という点も重要な要素であると考えています。

農業という生産現場においても、ポイントはやはりこのバランスをいかにとるかという点にある
ような気がします。

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