自然食

最近は、農産物を購入して頂いたお客様から、お礼のメールを頂く事があります。

丸山さんの豆類のうち、黒大豆は、納豆と、豆乳、おからに、
金時豆は、加熱時間を最小限にして、サラダに、
また、小豆は、雑穀と混ぜて、玄米ご飯に。

いずれも、戻し汁に溶け出した、大事な豆の栄養分を捨てることの
ないように、最小限の水で戻した、その汁ごと煮ました。

驚きました。なんら味付けしない煮たての豆類のおいしいこと。
ふくよかで力強く、生命力にあふれている感じがします。
カラダが「おいしい」と感じるということは、本来日本人は
このような食材を、タンパク源としてきたってことでしょうね。

あとは、根菜類があれば、ベーシックな栄養の確保は
十分で、葉物野菜、海藻類、近海のわずかな魚介類を
加えることで、ほぼ理想的な食を構成できます。

蓄肉、卵、乳製品など、まったく必要を感じないですね。
これらは、わが家にとっては、いわば嗜好品といったところでしょうか。
(中略)
「読み物コーナー」も、大変興味深く、また共感を持って
読ませてもらっております。どうぞ、よろしくお願いします。

静岡県  鶴田様より (04/12/23)
(ご本人の了解を得て、記載させて頂きました。)

生産者にとってはとても有難いメールです。主に、玄米菜食されている方や、べジ系の方に購入して頂く事が多いようです。
勿論メールによる注文ですから、実際にお会いしたことはありませんし、詳しい事は解りませんが、文面からは、「静かな、しかし満ち足りた生活」というものが伝わってくる感じがします。
私もソフトべジな生活ですから、同好の士を得たようで、嬉しいメールでした。
苦労して無農薬で作っているものですので、できれば玄米菜食をされているようなべジな方に食べて頂きたいと願っておりましたが、こうして、生産物を通して得られるリレーションはとても有難いものです。
人間の食とは何だろう、と考え出すともう切りが無くなります。
どちらにしても寿命が来たら死んで行くわけですから、あまり肉体の健康ばかりに囚われていても仕様が無いことです。 必要以上に囚われる必要はないが、でも生存中は元気でいけたらそれにこした事はないわけです。
結局のところは、食の基本は、なるたけ体を汚さない、という事につきるのではないかと思います。

私は子供の頃から、畜肉・乳製品・ケチャップ、マヨネーズ等の調味料は、一切食べれませんでした。
小学校の給食の時間などは、将に地獄の責め苦を受けているようだった。 肉は臭くて絶対食べれなかったのです。 「好き嫌いなく、何でもたべなさい。」と良くいわれますけど、なんで何でも食べなきゃならんのでしょうか? 無差別に何でも喰うから病気になるのです。
「米と麦と季節の野菜、多少の海産物と味噌醤油」これで十分なのです。
今でも現代栄養学をまったく無視したような粗食ですが、今まで病気どころか、カゼを引いた事もありません。

自然農法・わら一本の革命のなかで、福岡翁はこう書かれています。
自然人の自然食(理法の食)
 火食、塩味つけ、万端ひかえめにして腹八部、手近な所で得られる四季おりおりの旬のものを
 とればすでに十分である。 一物全体、身土不二、小域粗食に徹することである。広域過食が
 世を誤らせ、人を病ませる出発点になっていることを知るべきである。

真の文化は、自然の中に生まれ、純粋でつつましく素朴なものとなる。でなければ、人間はその文化のために滅びるだろう。 人間が自然食から脱却して、文明食をとるようになったとき、人間はその食によって衰亡する。それが真の文化ではないからだ。
食はいのち、まかり間違って食が自然の大道を踏み外せば、食が人の生命を失わしめるばかりか、人の道をも誤らしめることにもなるだろう。

つまり、余計な事は余り考えず(分別智を捨てる)、近隣でとれたものを食っていればそれで良い、という事だ。 しかし、毎日二回(あるいは三回)必ず取る食事について想いをはせる事もけっして無駄ではないだろう。 食とは、あらゆる意味で出発点である。 将に人は食うために働いているのだから。
なにを食い、何を食っていれば良いのか、どの程度の暮らしで良いのか、はっきり見極める事も大事な事である。 これがブレると生活がブレる。人の生活がブレると社会がブレる。だから今の社会はブレまくっているのである。
私もあまり偉そうに言える立場ではないが、今は半自給的な田舎の暮らしである。
ああ、これで良いのか、と納得すると生活が落ち着く。すると別に何が無くても、楽しい毎日が送れるのである。
農人日記の秋山さんの人生の目的は、「長生き」なのだそうだ。思わず笑ってしまうが、田舎でストレスの無い、気楽な毎日を送っていたら、いやでも長生きしちゃうんじゃないだろうか、と思う。
喰う為に働かざるを得ない状況というのは確かに辛い。サラリーマンが定年を心待ちにする気持ちも良く解る。 好きで宮仕えをしたい人もいないだろう。
実際にやってみると、畑のある生活というのは実に楽しい。それ自体が仕事ではなく、楽しい遊びなのだ。 こんな風にして生きていっても良いのなら、いつまでも生きていても良いなーと思ったりもする。
私は特に長生きの願望はないけれど、結果としては、やはり長生きする事になるのかなーと思ったりする、今日この頃です。



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