備えあれば憂いなし

日本人にとってお金とは円(えん)である。
国内で他の貨幣を使用する機会もないし、円以外について考える事もあまり無いと思う。
ところが、外国を旅行する場合などは一変する。 一万円がいくらで両替できるかは大事なポイントであるし、そもそも日本円はそのままでは使えない。

数年前、インドシナ諸国を旅行した折に一番感じた事は、米ドルの強さである。米ドルはどんな僻地に行ってもそのままで通用する。
もともと、ドル建てのTCと、現金は日本国内で米ドルに両替して持って行ったので、特に問題は無かったが、日本円は都市部では大丈夫だが、地方に行くと両替レートは下がるし、場合によっては交換を断られる事もあった。勿論そのままでは使えない。印刷したただの紙になってしまうわけだ。勿論国内に戻れば良い事だから、使えないからといって捨てたりせず、大事に持ち帰ったのは言うまでもない。
日本円は両替して現地通貨と交換しなければ使えないが、米ドルなら両替することなくそのまま使えるのである。ホテルの宿泊代はドル払いのところが多いし、ベトナム・ドン、カンボジア・リエル、ラオス・キップなどの現地通貨は、現地人でも喜ばない、やはり米ドルなのである。
一応独立国ではあるが、こと経済的には未だ米国の植民地と言っても良い位だ。
旅行の際は、お金は本当に便利な道具である事を痛感する。とにかく金さえ持っていけば良いのだから、こんなに楽な事はない。

しかし、何故こんなにも米ドルが強いのかなと思うが、これはやはり、米ドルは米国政府発行の通貨ではなく、米国在住の連邦準備銀行が発行する銀行券だから、という事なのではないかと思う。
米国がたとえ潰れてしまったとしても、連邦準備銀行が潰れる事はありえない。単なる米国支店なのだから、本店は痛くも痒くもないのである。

日本円は、日本銀行が発行する、日本銀行券である。日本銀行の半分以上は日本政府が所有している。 日本円は日本政府が発行している通貨と言って良い。
しかし、米ドルというのは、ちょっと事情を異にする。連邦準備銀行というのは国立の銀行ではなく、民間人の所有するまったくの民間銀行である。国家が通貨を発行しないという事などありえるのだろうか、と思うのであるが、現に存在する。 それがアメリカ合衆国である。 
1913年に成立した連邦準備制度法により、貨幣発行権を、民間団体である連邦準備銀行に譲り渡したのである。
アメリカ合衆国とは、自らの政府に貨幣発行権を持たない、実に不思議な国家なのである。

トリガーを引くのは誰だ?
今は一つのヨーロッパを目指してEUが統合しつつある。
今はまだ途中という感じがするが、遠からず統合がなされるだろう。
ユーロが基軸通貨となる時、もう米ドルは必要ではなくなる。
アメリカ連邦準備銀行は、支店というより、旧本店と言ってよいかもしれない。
立派な新築の本店が完成したとき、旧本店はどうなるだろう?
役目を終えて取り壊し作業にかかるはずだ。

その時、米ドルはゼロ円、ただの紙クズになるだろう。
勿論、米国・米国民も皆困るのであるが、もともと通貨発行権を持たない米国政府にはどうする事もできない。
万が一こんなことになったら、悲惨なのは日本国民である。
せっせと働いて貯めた貯金も、保険も、株・債権等の有価証券も、もともと印刷しただけのただの紙なのであるが、文字通り、全てが本当の紙クズとなる。戦後の軍票みたいなものである。
輸入の全てがストップし、国民全てが無一文の貧乏人になってしまう。

しかし、たとえこんな状況になったとしても、そう悲観する事はない。
もともと、何も無い戦後の焼け野原から出発したのである。又そこに戻ってしまったと思えば苦も無い。
数年せず、再び復旧することができるだろう。
具体的に備える必要もないし、又無理なことだが、一応心構えとして持っていれば、いざ鎌倉という時にパニックに陥ることが無くて済む。 地震に対する心構えと同じことである。
「金が無くなったって生きていけるぞ。だいじょぶだぁ〜!」

車のスピードを落とすと安全運転になる事は誰でも知っている。
時速100Kmのスピードで走っていると、万が一事故った時の衝撃は大きい。
ブレーキ踏んで半分の時速50Km位のスピードだとかなり安全運転になる。万が一事故った時でも、物損位で済むのではないかと思う。
時速50Kmとは言え、一時間に50Kmも移動できるのであるから、これでも十分だと言える。
しかし、実際はそんなチンタラしたスピードで走れるのか、という問題になる。道路は皆で走るものである。自分だけがゆっくり走っているわけにはいかないだろう。後ろからはガンガン煽られるだろうし、後続車に無理な追い越しをさせる基になる。やはり皆に合わせて、流れに合わせて走らないとかなりマズいだろう。 実際チンタラ走っていたのでは、金にはならないのである。
もし、全体がスローダウンする事ができれば、交通事故も減り、かなり安全となる。
しかし、これは皆でブレーキを踏まない事にはどうしょうも無い。自分だけがブレーキを踏むわけには行かないのだ。ちょっと危ないなと感じたとしても、ブレーキは中々踏めないものである。
勿論事故らなければよい。それだけ早く到着できるのだから。しかし、もしクラッシュした時の衝撃は大きい。命は助かったとしても、車は間違いなくオシャカになるだろう。
社会のスピードは、将にアクセル踏みっぱなし状態である。
もう少しスローダウンすることはできないのだろうか?

しかし、こんなことをアレコレ考える事自体が無駄な事かもしれない。
何が起こったとしても、全ては神の内である。
あるべき事があるに過ぎない。
善も無く悪も無く、ただ銀河の時間は流れ行くのである。

最後に崇山少林寺の老師の言葉を引用しよう。
  「平和な世の中とする為にはどうしたら良いのでしょうか?」
師、答えて曰く、「平和とは世間にはないのじゃ。その道を歩む者にのみあるのじゃよ。」 

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