社会システム

日本での暮らしはなんでこくなに息ぐるしいのだろう。常に頑張る事を要求されて息を抜く暇が
ない。  「じゃ、がんばってね。」と挨拶代わりになるくらいですから。
残念ながら皆がのんびり幸せに暮らしていけるというシステムにはなっていません。
お互いがお互いのクビをたがいに絞めあっているかのような気もします。
若者のフリーター現象は今の社会に対するNOという意思表示のひとつだと思いますが、この
システムの中にあっては、のんびり暮らすという事はなかなか許されません。

「三歳になったら保育所から幼稚園へ、六歳になったら小学校・中学校・高校・大学(短大又は専門学校)、会社に入って仕事を覚え、年頃になったら結婚し、子供が大きくなったらローンを組んで自宅を購入、定年までひたすら働き、さらに年金がもらえるまでの間再就職。やっと年金がもらえる様になってやれやれと肩の荷を降ろした途端に癌になって死んでいく。」
かくのごとく、日本人の生活レールはきちんと決まっており、そこから飛び降りること、途中下車はできません。ノンストップの急行列車に乗るか乗らないかどちらかなのです。

適当な折衷案が無い以上、社会生活に疑問を感じNOと言う事は、そのままシステムから離脱するという事を意味します。
脱サラ農民になるのが何故しんどいかというと、このシステムからの離脱であるからに他ならないからです。システムの構成員であるということで皆生活していけるわけですから、ここから離れてかつ自活するというのは、かなりしんどい作業なのです。

本来、独立自営農民は、何者にも隷従する事なく、独立した資本を持って生活できる唯一の職業です。しかし、管理側の人間は、こうしてシステムの外にあって資本を有し、悠々自適に暮らす人々の存在をけっして許しません。
「百姓は生かさぬように、殺さぬように」これは江戸時代・家康公の時代から今も変わらぬ治世の根本なのです。殺してしまっては税が徴収できませんから、けっして殺さない。だからといって自由に生かしておっては言うことを聞かず反抗するかもしれない。よって死なない程度に徹底的に搾り取れということです。絞る方はいいですが、絞られるほうはたまったものではありませんね。
本来豊かであるはずの農民は、あの手この手にからめられ、けっして抜け出す事のできない蟻地獄の中に押し込められています。最後の皺寄せが農業へ行くように社会システムは構築されているのです。
こうした状況の中にある農業に活路を求めるというのは実はこれは無謀な賭けなのです。
パチンコ・マージャン・競馬・ロト、こうした賭け事を私は一切しません。
毎年毎年生きていけるかどうか、いつもギリギリのところで勝負しているのですから、人生そのものが博打です。いつも生活していけるかどうかの生存を賭けたリスキーな毎日を送っているのですから、普通の賭け事には何の興味も感じません。
いつも背水の陣にあって、あれこれ色々考えを巡らして工夫していく、そこがまた実に面白いところです。 さて、丁と出るか半と出るか、サイコロはまだ壷の中です。

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