スローフード・スローライフ 

 昭和な時代 

最近よく言われる言葉である。スローな食事、スローな生活ということなのだろうが、訳すれ
ば自給自足してのんびり暮らす、という事だろうか。
更にいうと、もっと貧乏に暮らそうという意味だと思う。

どのような生活を選択するかは、その人次第なのだが、便利快適を追求してもそれに応じ
て幸せが拡大していくわけではないし、生活に絶対必要なもの、もそう多くあるわけでは
ない。のんびり暮らすという事をキーワードとした場合、生活モデルとしては、昭和30年から
40年頃の生活で十分なのではないかと思っている。
理想としては、オーストラリアのアボリジニや、アマゾンのヤノマミ族の様な暮らしなの
だが、さすがに、現代の日本で実践するのは難しいので、終戦後、高度経済成長前の
昭和40年頃の生活水準を基本としている。


もう古くなって取り壊されてしまったが、
私が生まれ育った生家。
昭和40年頃の風景
車もほとんどなかった時代、道路もジャリ道。
私が4歳の頃、二つ上の姉と、     
いかにも昭和の子供という感じがする。
昭和37年頃。

昭和40年頃の生活とはどんな感じだったのだろう。
電気はあったが、テレビ・冷蔵庫・洗濯機はまだなかった。
水道もまだなかった。近くの井戸から水を汲んで流しの樽に入れるのが子供の仕事だった。
暖房も灯油(石油)はまだなくて、薪か石炭だった。夏の間に薪割りをするのも子供の仕事
だった。車もほとんどなくて、せいぜいバイクであった。
とまあ、こんなかんじなのだが、現在巷にあふれている電気製品やら便利な機械類はまだ
ほとんどなかった時代である。
しかし、今振り返って想い出してみても、貧乏で悲惨だったとか、つらくて悲しかったという
様な嫌な思い出はない。周りが皆そうだったのだから、こんなもんだと思って生活していた
のかもしれない。

生きているだけで十分だというシンプルライフでも良いわけだ。
実際に暮らし始めてみると、都会で暮らすのと違い、それほど金は無くても暮らしていける。
もっともゼロというわけにはいかないが、町でサラリーマンをして暮らしていくのと比べると
極端に低い金額で暮らしていけるのは事実である。

尤も現在の便利快適生活を否定しているわけではないし、殊更わざわざ貧乏に戻ろうと
言っているわけでもない。必要なものはやはり必要だ。だが不要なものはやっぱりいらな
いのだ。今の生活とは、ごく単純に且つシンプルに、生きていく上で何が必要かということ
を見極める作業でもあります。

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